なぜ人は愛されたいのか?キリスト教の幸せって?

さて、今日はちょっとだけ、教科書を思い切って閉じてみてください。

今回お話しすることは、次の中間テストには1ミリも、絶対に出ません。けれど、皆さんのこれからの人生という「超巨大な本番」で、めちゃくちゃたくさん出題される大切なテーマについてお届けします。

ズバリ、「なぜ人は愛されたいのか?」という、2000年前から人類がずっと頭を抱え続けている壮大な疑問についてです。

私たちが日々、どれだけ「いいね」や他人の評価という名の終わりのないマラソンで疲れ切っているのか。そして、2000年前の知恵が、どうやってその理不尽なルールをひっくり返すのか。先生の体力が尽きる前に、優しくのんびりお話ししていきますね。

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もしも、世界中の人が自分の敵になったら?

最初のテーマとして、人間の本質についての、少し背筋がヒヤッとする質問から始めてみましょう。

ちょっと想像してみてほしいのです。もし世界中の全人類(約80億人)が、あなたのことを全力で嫌っていたら、あなたはどうしますか?

たとえば、お小遣いが毎月無限に支給されて、テストの成績が学年ぶっちぎりの1位で、運動神経もオリンピック選手並みだったとしましょう。

だけど、クラスの誰一人として一緒にお弁当を食べてくれない。廊下ですれ違っても、全員に気配を消されてしまう……。

これって、どれだけお金や才能を持っていても、どう考えても絶望的で、ものすごく惨めですよね。お小遣いが無限にあっても、使い道がありません。

まるで、徹夜で一生懸命に頑張って作ってきた課題を出したのに、先生からドーンと巨大な、しかも赤色のマジックで「ゼロ点」って書かれた紙を渡されて、それをただじっと見つめているような気分です。(あ、実際の私はそんな冷たいことはしませんから、安心してくださいね)。

つまり、私たち人間は、いくらお金や才能があっても、「愛されたい」とか「誰かとつながりたい」という感覚がないと、自分自身の存在価値が一気にゼロまで消えてしまう、本当にデリケートな生き物なのです。液晶画面のガラスくらい、簡単にバリンと割れてしまうのですね。

裏を返せば、それだけ私たちは、他人の目を気にせずにはいられないということです。

終わりなき「条件付き評価」のレース

では、少しばかり誰かに愛されたり、SNSでフォロワーが増えたりすれば、この不安は永遠に消え去るのでしょうか?

ここで、皆さんが毎日少しだけ心を痛めている、ストレスの原因を並べてみますね。

  • 定期テストの順位
  • 部活のスタメン争い
  • インスタの「いいね」の数
  • LINEの既読スルー
  • 模試の結果の「A判定」や「E判定」 (※ちなみにE判定はエクセレントのEではありませんよ、念のため……!)

これらには、すべて共通点があることに気づきますか?

これらはすべて、社会や学校が「君の価値は、目に見える結果次第だよ」と突きつけてくる、「条件付きの評価」なのです。

「何かができるから価値がある。できない人には価値がない」という、なかなかシビアなルールですよね。本当に嫌になっちゃいます。

こうした条件付きの愛や評価は、言ってみれば「底に思いっきり穴の開いたバケツ」のようなものです。

結果を出している間は、バケツに水がたまります。少し誇らしい気持ちにもなれます。でも、条件付きだからこそ、「いつか順位が落ちたら見捨てられるかもしれない」「フォロワーが減っちゃうかもしれない」という恐怖が、ずっと後ろからゾンビのように追いかけてきます。水はどんどん、穴から漏れていってしまうのですね。

だからみんな、自分の価値を必死に証明したくて、親指が腱鞘炎になりそうなくらいスマホを何度もリロードして、いいねの数を確認してしまう。

そんなゴールのない無限マラソンを、私たちは毎日走らされているわけです。金曜日には、みんながゾンビのようなお顔になってしまうのも当然ですよね。

2000年前の世界は「超ハードモード」だった?

ここまでの話を聞いて、「でも先生、それって現代のスマホ社会特有の悩みでしょう?」と思うかもしれません。ですが、実は全然違うのです。現代人がスマホで悩む前から、人類はずっとこれで悩んできました。

ここで、歴史の先生らしく、時計の針をグッと2000年前まで巻き戻してみましょう。

時は2000年前の中東、ローマ帝国が支配していた時代です。 当時の人々は、エアコンもコンビニもない、生きるか死ぬかの過酷な環境で、しかも、めちゃくちゃ厳格な宗教ルールの下で生きていました。

「こういう行動をしなさい」「この法律を完璧に守りなさい」というルールが、生活のすべてをガチガチに縛っていたのです。

もし家が貧しかったり、生まれつき体が弱かったり、あるいは厳しいルールをたった1ミリでも破ったりすると、社会から容赦なく「あいつは神様に愛されていない、価値のない人間だ」とレッテルを貼られてしまいました。

現代のスクールカーストやSNSの評価なんて、タピオカミルクティーくらい甘くて可愛く見えるほど、当時の世界は超絶ハードモードな「条件付き社会」だったのですね。

イエス先生の圧倒的ポジティブ宣言と「アガペ」

そんな、ルールだらけで誰もが息を詰まらせていた世界に、イエスという一人の男性がフラッと登場します。そして、当時のブラックすぎる社会システムを粉々に打ち砕くような、とんでもない大革命を起こすのです。

彼は、社会的な評価がゼロ、あるいはマイナスになってしまっていた人たちのところへ真っ直ぐに向かっていきました。そして、その手をガシッと握り、こう言いました。

「あなたは、そのままで愛されている」

つまり、何かすごいことを成し遂げなくても、難しいルールを完璧に守れなくても、「君はもう、生まれた瞬間からすでに価値があって、最高に愛されているんだよ」と宣言したのです。

現代風に言えば、「フォロワーがゼロでも、全教科が赤点でも、君の価値は一切減らない」と言ったようなものです。当時のエリートたちからしたら、もう腰を抜かすほど衝撃的な大事件でした。

さあ、ここで本日の最重要キーワードが登場します。「アガペ」です。

アガペとは、結果や条件、能力なんて一切関係なく、あなたの存在そのものに与えられる「無条件の愛」を指します。

あなたが数学のテストで1桁の赤点を取って絶望しようが、部活の大事な試合でとんでもないオウンゴールを決めようが、朝起きられなくて遅刻しようが、決して揺らぐことのない絶対的な人間の価値。それがアガペの思想です。

普段、世間は私たちに「認められたければ、結果を出して内申点を上げなさい」と要求してきますよね。でも、アガペの概念は違います。「あなたは、結果を出す前から、すでに完璧に愛されている」と肯定してくれるのです。

皆さん、生まれたばかりの赤ちゃんを思い浮かべてみてください。 赤ちゃんは、履歴書も持っていないし、英語も話せないし、誰の役にも立っていませんよね。むしろ夜中に大絶叫して、大人の睡眠時間をゴリゴリに削ってきます(先生も昔はそうやって親を困らせていました)。

でも、そこにいるだけで、無条件に周りから愛されるじゃないですか。あれと同じなのです。

テストの席に座った時点で、あなたは100点満点

最後に、この壮大な歴史の話を、皆さんの教室、そして毎日の生活に持ち帰ってみましょう。

まず大前提として、人間は、お互いに「条件付きの評価」を安定して与え合うのが、ものすごく苦手な生き物です。だから、みんな心に余裕がなくなると、ネットに匿名で悪口を書き込んだり、誰かを仲間外れにしたりして、「ふふん、あいつよりは私のほうが上だな」って、自分の価値を無理やり上げようとしちゃいます。悲しいかな、それが人間の弱さなのです。

そんな、いつ崩れるかわからない他人の気まぐれな評価や、明日の朝には消えているかもしれない「いいね」にしがみつくのは、もうやめましょう。

代わりに、「自分には最初から、絶対的な、無条件の価値があるんだ」という安心感で、まずは自分の心のタンクをたっぷりと満たしてあげるのです。

ここ、テストには出ませんが、人生にはめちゃくちゃ出ます。大切なポイントですよ。

自分の心のタンクが満たされて、初めて、私たちは他人に本当の優しさを分け与えることができます。自分のバケツがカラカラに渇いているのに、他人に水をあげることはできません。そんなことをしたら、自分が干からびてしまいますからね。

進路指導で厳しい現実を突きつけられて白目をむこうが、部活の試合でずっとベンチの座り心地を確かめていようが、SNSの投稿が完全にスルーされようが、そんなことで皆さんの根本的な価値は絶対に壊れません。

あなたがテストの時、その席に座る前から、皆さんの価値はすでに100点満点。ありのままで、すでに十分に素晴らしいのです。

さて、今日の特別授業も終わりが近づいてきました。 最後に、少しだけ小さな問いを、皆さんに残したいと思います。

もし明日、あなたのSNSに誰からもいいねがつかなくて、すべての教科で綺麗に赤点を取ってしまって、世間からの評価や目に見える実績が全部ゼロになったとしたら。

そのとき、あなたの「揺るぎない価値」は、本当はどこから来るのでしょうか?

ぜひ、今日の帰り道、美味しい買い食いでもしながら(あ、買い食いは校則違反でしたっけ。まぁ、そこは先生に見つからないようにうまくやってくださいね)、ゆっくり考えてみてください。

それじゃあ、今日の授業はここまで。 皆さん、お疲れ様でした。赤点を取らない程度に、お勉強もほどよく頑張ってくださいね。

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