チベット密教の歴史と流れ

日本仏教とチベット仏教のもっとも異なる点があります。
それは、政治との結びつき。
その原因は、やはりチベットを取り巻く地形と風土・歴史の中にあります。
9世紀に古代、チベット王国が分裂してからチベット高原には、政治権力も何の産業も無い地でした。
そこで、各地の宗派・僧院が集まり中核を作ったことにより、政治との結び付きが生まれたようです。
13世紀にモンゴル軍が侵略してきます。
チベット人を皆殺しを予定してきたモンゴル軍ですが、チベット人の仏典の翻訳などで身に付けた文書管理に目をつけて、 モンゴル帝国の管理をゆだねてきます。
そのうち、簡単な信仰しかなかったモンゴル人は、チベット仏教の教えに魅せられて、ついにはチベット密教僧を帰依処(霊的指導者) モンゴル皇帝を大施主(後援者)と呼び、ほぼ対等な関係になってきます。
これは簡単に言えば、仏教を産業化して異民族に仏教を教え霊的な加護を与えて、その代わり財を得ることでチベットを支えてきたと言うことです。
それから、チベット仏教の各地の宗派が権力争いが起こり、分裂の危機に瀕します。
17世紀、ダライラマ政権がチベット高原をほぼ傘下におさめ、一応分裂の危機は収まります。